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複雑型子宮内膜異型増殖症と診断されるまで PCOS・夜勤・子宮体がん前がん状態のリアル

複雑型子宮内膜異型増殖症と診断されるまで PCOS・夜勤・子宮体がん前がん状態のリアル 管理栄養士

こんにちは、らぼです。

「このまま何もしないと、子宮体がんで死ぬよ。」

結婚してまだ数か月の私に、医師からそう告げられた日のことは、今でも忘れられません。

この記事では、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)を抱えながら夜勤勤務を続けていた私が、複雑型子宮内膜異型増殖症と診断され、治療・寛解に至るまでの経緯をまとめています。同じ診断を受けた方、妊娠を望みながら不安を抱えている方に届けば幸いです。 

 

らぼ

内向型・HSP気質の医療職(臨床検査技師)2児ママです。

管理栄養士、保育士、FP3級など、子育てや暮らしに活かせる資格を持ち、
やりがいのある仕事を細く永く続けながら「心と身体をすり減らさない暮らし」を大切にしています。
自身は中学・高校・大学受験を経験。

このブログでは、
・静かに楽しむ子育ての工夫
・こどもの通信教育やおでかけ情報
・内向型・HSPママが自分らしくコツコツ生きるヒント
などを発信中。

エネルギーを消耗しやすく、自分をすり減らしがちな方に、そっと寄り添えたら嬉しいです。
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夜勤・長距離通勤……体に無理をかけ続けた4年間

管理栄養士から臨床検査技師に転職し、夜間救急のある病院に勤めていました。

勤務体制はハードなものでした。

  • 月3回の当直:朝8時〜翌日昼12時(28時間勤務)
  • 週1回の夜診当番:残業で夜9時頃まで
  • 当直中の仮眠は、よくとれて2時間ほど
  • 朝は検体検査機器の立ち上げのため、5時30分から準備

不規則なシフトで体調を整えるのが難しい生活。それを4年間続けました。

結婚後は通勤に片道1時間30分かかるようになり、睡眠時間はさらに削られていきました。 

 

もともとPCOS(多嚢胞性卵巣症候群)、中学生から無月経

もともと多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)があり、中学生の頃から薬を飲まないと生理が来ない状態でした。

以前、婦人科で妊娠について相談した際には、「排卵誘発剤を使えば妊娠できるだろう」と言われていました。 

 

不妊治療を始めようとしたら、異変が

結婚して数か月後、不妊治療を始めようと婦人科を受診。しかし、9か月間生理が来ていない状態だったため、まず生理を起こすことになりました。

薬を飲めば生理を起こせていたはずが、今回は様子が違いました。

  • 薬を飲んでも生理が来ない
  • 量を増やしても、1日の出血で終わり
  • エコーで確認すると、子宮内膜が厚いまま剥がれていない

「おかしい」ということで、子宮体がん検査(細胞診)を実施。結果は陰性でした。 

 

繰り返す検査、そして「異型細胞疑い」

薬の種類や期間を変えてみても、内膜は剥がれず。再度の細胞診も陰性でした。

次に子宮体がん検査(組織診)を行ったところ、「異型細胞疑い」という結果が出ました。

大学病院に紹介となり、改めて細胞診・組織診を提出。

結果は

classⅣ、複雑型子宮内膜異型増殖症

複雑型子宮内膜異型増殖症は、子宮体がんの前がん状態です。ガイドラインでは、妊娠を希望しない場合の標準治療は子宮全摘出とされていました。 

 

「死ぬかもしれない」「子どもができないかもしれない」

医師から告げられた言葉は、「このまま何もしないと、子宮体がんで死ぬよ」というものでした。

選択肢は2つ。

  1. 子宮を全摘する
  2. 子宮内膜全面掻爬術を行い、診断が変わらなければ高容量黄体ホルモン治療で寛解を目指し、すぐに高度不妊治療を行う(ただし再発リスクあり)

結婚してまだ数か月。頭の中は「死ぬかもしれない」「子どもができないかもしれない」でいっぱいでした。 

 

子宮内膜全面掻爬術→ヒスロンH治療へ

子どもが欲しいという気持ちから、子宮内膜全面掻爬術を選択。結果は子宮体がんではなく複雑型子宮内膜異型増殖症と確定し、高容量黄体ホルモン治療(ヒスロンH)を開始しました。

服用を始めると、体重が一気に増加し、体温も37.1度前後に。血栓の副作用に注意しながら、常勤の仕事を辞め、自宅近くの病院でパート勤務(週3回・6時間)に切り替えました。

だるさはありましたが、パートの仕事は続けることができました。 

 

7か月後、寛解へ

治療開始から7か月後の子宮内膜全面掻爬術で、陰性が確認され寛解

再発リスクがあるため、すぐに不妊治療を再開することになりました。 

 

病気を経て、気づいたこと

この経験を通じて、体を壊すような働き方をしてしまったことを深く後悔しました。

夜勤は、どこでもすぐ眠れるタイプでないと本当に厳しい。HSPの私には、体がついていきませんでした。夜勤従事者は乳がんの発症割合も高いというデータもあります。

人のケアに関わる仕事をしていましたが、まず自分の体を大切にすることが最優先でした。自分を幸せにしてこそ、他者のケアができる——そのことを身をもって学びました。

20代で病気による死を意識したことで、「死より怖いものはない」と、少し強くなれた気がしています。

 

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